1995-03-20 第132回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号
しかも、短大の音楽科の生徒五十人ほどを連れて、オープニングセレモニーに実は合唱をやろうということで海洋博賛歌というのをわざわざ学校で作詩して、そしてそれを作曲して、これは前田義徳というNHKの会長さんがいらっしゃいましたが、その人と、当時たしか事務局長は、今の東京都知事の鈴木さんがこの沖縄博の事務局長をやっていたような気がいたしましたが、それらの方々の御要請もあり、ひとつ大いに華々しくやろうというので
しかも、短大の音楽科の生徒五十人ほどを連れて、オープニングセレモニーに実は合唱をやろうということで海洋博賛歌というのをわざわざ学校で作詩して、そしてそれを作曲して、これは前田義徳というNHKの会長さんがいらっしゃいましたが、その人と、当時たしか事務局長は、今の東京都知事の鈴木さんがこの沖縄博の事務局長をやっていたような気がいたしましたが、それらの方々の御要請もあり、ひとつ大いに華々しくやろうというので
その他阿部真之助さんとか前田義徳さんとか、いわゆるそうそうたる人物がこの日本放送協会の会長となって今日に至っておられまして、前任者の川原さんも今おっしゃったようにまことに立派な方でございまして、私はこれらを学ぶたびに、つくづく私のようなお粗末な人間が果たしてこの大役にたえ得るかどうかということについていささかじくじたるものがございますが、せっかく非才を傾けて、この大事な世界に冠たる公共放送であるNHK
○島参考人 衛星につきましてのお答えをNHKとしていたしますと、確かに発足当時は我々といたしましても放送の先導的役割ということで、当時の前田義徳会長が積極的にこの事業に参画したことは事実でございます。それ以降の経緯につきましては、今の阿部先生のいろいろの御意見、私どもも非常に傾聴に値する意見と思いますので、これから郵政省、科学技術庁といろいろ話し合いを進めていきたい、こういうふうに考えております。
何とかしてこの難視聴世帯をゼロにしなければならぬということで毎年数十億円の難視対策経費を計上していた段階でございますので、放送衛星というものをうまく活用できれば、これが一つの装置ですべてを解決できるということから、当時の前田義徳が会長として御提案申し上げたと思います。
堀田庄三がおる、永野重雄がおる、前田義徳がおる、土光敏夫がおる。何でこんなのを顧問にしなければいかぬのです。この名簿を見てみますというと、戦争前には枢軸外交を謳歌した人も顧問の中に入っておる。こういう人たちがなぜ顧問に入らなければならないのですか。それほど外務省というのは能力ないのですか。どうなんです。
特に、その一例を申し上げますと、六十五国会、つまり四十六年ですが、このときにこの委員会で、予算審議の際のようですね、樋上さんという当時の委員が、前田義徳当時の会長に対して、普通料金とカラーは一元化した方がいいんじゃないか、こういう問題提起がある。
あれは前田義徳会長のときにいろいろおやりになりました。もちろん世界各国の番組を入れるのでありますが、特に開発途上国の方を多く招聘をした。それもNHKでいろいろめんどうを見て差し上げて招聘をしておったのでありますが、最近はその辺が少し少なくなっておる、こういうような気がするのでありますが、この点はいかがでしょうか。
これはエイザ・ブリッグスという方と前田義徳元NHKの会長ですが、対談をされているんですね。そのことがちょうど放送大学と同じような形態ですでに始められているイギリスの公開大学の中身にかかわって対談をされているんですね。 若干紹介してみますと、こういう中身です。
たとえばNHKの元会長であられた前田義徳さん等がこの放送大学に非常に関心を持って、放送を通じての大学教育ということでアイデアを出され、検討をし、そして文部大臣あるいは郵政大臣といったところにおきまして、双方の機関を設けて放送大学の設立を積極的に進めてきたわけでございますけれども、私は論議を進めるに当たりまして、特にその中におきまして放送部門という問題がいろいろと流動的になってきておりますので、そういった
それから理事会の議長にも前田義徳さんが就任していらっしゃるということで、日本は大いに一生懸命のようなんですけれども、どうも私、解説を見たり、あるいは新聞記事を見たり、あるいはいろいろの状況判断をしてみまして、なぜ日本がこんなに一生懸命に推進しているのに、世界各国があんまり熱心じゃないのか。
しかし個人の自由であり、執行部はあなたいらっしゃるけれども、前田義徳と言えばいまだに、失礼ですが、NHKの会長は前田だと思っている人が多いんだな。前田天皇と言われたほどの人だ、NHKで。功罪相半ばしたと思う、まあある意味で結構です。
ですから、私が申し上げましたのは、公制審の中の全文を申し上げる時間もございませんので、非常に大事なところは、これは前田義徳NHK会長なりあるいは労働金庫の今井一男さんなり、入った方に伺ってもらえばなおわかるわけでありますけれども、三公社五現業の場合には、大多数の公益委員の方々が——具体的に数字などで伺いますと、これもはっきり御本人方の御署名をとったわけではございませんから、大まかに申し上げますと五対二
そしてこの内容を読みますと、申し立て人は日本放送協会芸能員労働組合花木一浩という方で、そして被申し立て人は日本放送協会会長前田義徳というふうに書いて出ておるわけです。大体この出ましたのが、昭和四十三年のころであると思いますが、「次のとおり命令する。」という命令書が出ておるわけです。これは小野会長も大体御承知かと思いますが、ちょっとその命令書の内容を読んでみます。
昨年、本委員会におきまして、当時のNHK会長前田義徳氏が、向こう三カ年間を受信料の値上げをしないようにするために、内幸町の放送会館の売却費の一部を充てるというようなお話でございました。
そういう意味において、ちょうどこれは朝日新聞の六月二十九日の「天声人語」というのがありましてね、これちょっと参考になったものですから読み上げてみますと—— 「前田天皇」といわれて、NHKに君臨していた前田義徳会長が勇退することになったようだ。九年間、会長の座にいて、その強い個性がNHKを一つのカラーに濃く染め上げた▼NHKのことは、悪口をたたいた方が気持よいことになっている。
牧野 康夫君 郵政省貯金局長 石井多加三君 郵政省電波監理 局長 齋藤 義郎君 事務局側 常任委員会専門 員 竹森 秋夫君 説明員 会計検査院事務 総局第二局長 柴崎 敏郎君 参考人 日本放送協会会 長 前田 義徳
○参考人(前田義徳君) この機会に、特に発言を許されまして、私として委員各位に厚くお礼を申し上げたいと思います。と申しますのは、私は来たる十六日をもって任期を満了して退任いたすこととなったからでございます。 顧みますと、私は、NHKという事業体に参加して以来二十三年、当国会に出席することを許されてから約二十年でございます。
日本放送協会会長前田義徳君。
貞孝君 出席国務大臣 郵 政 大 臣 久野 忠治君 出席政府委員 郵政大臣官房長 廣瀬 弘君 郵政省電波監理 局長 齋藤 義郎君 委員外の出席者 会計検査院事務 総局第二局長 柴崎 敏郎君 参 考 人 (日本放送協会 会長) 前田 義徳
貞孝君 出席国務大臣 郵 政 大 臣 久野 忠治君 出席政府委員 郵政大臣官房長 廣瀬 弘君 郵政省電波監理 局長 齋藤 義郎君 委員外の出席者 会計検査院事務 総局第二局長 柴崎 敏郎君 参 考 人 (日本放送協会 会長) 前田 義徳
報管理官 馬場 行雄君 会計検査院事務 総局第二局長 柴崎 敏郎君 日本電信電話公 社総裁 米澤 滋君 日本電信電話公 社データ通信本 部長 朴木 実君 参 考 人 (日本放送協会 会長) 前田 義徳
○参考人(前田義徳君) そのとおりでございます。われわれの構想の実施に関しては、お説のとおりの手続を経て行なうということでございます。
○参考人(前田義徳君) いろいろ考えましたが、これよりほかに方法はないとわれわれは判断したわけでございます。
○参考人(前田義徳君) この失態については、まことに申しわけございませんでした。
○参考人(前田義徳君) 現在のところは、持っておりません。
○参考人(前田義徳君) 十分配慮いたしたいと思います。
○参考人(前田義徳君) ええ。